私たちは、仏事の作法を見よう見まねでやってきて、正式な作法についてはよくわからないですよね。
一般に私たちが考える仏事の作法には、正解があるのでしょうか?
仏事に関する数々の迷信が入り混じって、どれが常識か非常識かを判断することが難しくなってきています。
この記事を読めば、宗派や時代、一人ひとりの考え方によって異なる仏事の疑問の解決に役立つこと間違いなしです。
目次
四十九日法要が三月にまたがると非常識?
三月(みつき)にまたがってはいけないという決まりはありませんが、もし気になるのであれば日程を繰り上げるという方法もあります。
四十九日の法要を迎えるまでは魂の行先が決まらない「中陰」という状態で、この間に七日ごとに六回の法要を行いますが、都市部などでは営まれることも少なくなったようです。
※四十九日法要が亡くなった日から数えて三カ月にかかる日程で営まれるのは良くないことと言われることがあります。
嫁いだ家の宗教に合わせるべき?
最近では家の宗教より「個人の信仰」なので合わせる必要はありません。
元々は、家制度によって嫁いだ家の宗教に合わせることが当たり前でしたが、家制度が廃止されてからは、それぞれの宗教、信仰を大切にすることが重要視されてきています。
むしろそれぞれの信仰を認め合う姿勢が、お互いの家の伝統を長く守ることに繋がるのではないでしょうか。
精進料理を食べる方が仏教的?
肉や魚を食べる食生活が精進料理に劣り、仏教的でないかというとそうとも言い切れません。
肉や魚の方が、命をいただいている感覚が強いかもしれませんが、野菜ができるまでにも無数の生き物の命が犠牲になっているのです。
私たちの命のエネルギーになる食材全てに平等の命があると考えて、ありがたくいただくことを大切にしましょう。
厄年には厄払いをした方が良い?
厄年だからといって、殊更に考えすぎたり、不安に思いすぎたりしなくても大丈夫です。
そもそも厄年とは一生のうちに何度かやってくる、災厄が特に多く降りかかる年齢のことで、明確な根拠がないにもかかわらず、日本では昔から根強く信じられています。
厄年は数え年で、男性は二十五歳、四十二歳、六十一歳で、女性は十九歳、三十三歳、三十七歳とされていますが、四十二歳は「死に」、十九歳は「重苦」、三十三歳は「散々」などと書き換えることができますよね。
実は厄年は、江戸時代の人たちの語呂合わせで決まったと言われているんです。※諸説あり。
病や老い、苦しみなどの災厄に注意するには厄払いも大事ですが、あまり深くこだわり過ぎず、穏やかな生活を送る方が良いでしょう。
数珠が切れるのは縁起が悪い?
縁起が悪いとは言い切れませんし、数珠に限らず、靴紐や鼻緒などが「切れる」ことを縁起悪く言われるのは、昔ご遺体を埋葬する人が、履いた草履に霊が憑き、後をついてこないようにと、鼻緒を切って、墓地に置いてきたことに由来しているのです。
しかし、「切れる」ことは注意喚起や悪縁を断ち切るための兆候と思うこともできますよね。
数珠が切れてしまうのは、私たちが受けるはずだった災いを代わりに引き受けてくれたからかもしれません。そのまま放置せず、大切に修理をしましょう。
仏事のことでわからない場合のオススメ本
仏事のことで、一度確認しておきたい方は、こちらで確認しておくとよいと思います。下記よりご覧ください。
【疑問解決】迷信にとらわれない仏事の作法! まとめ
迷信を信じ過ぎてしまうことで、仏教本来の意味を見失っているかもしれません。
仏事の常識を否定することなく、自分自身の信仰心も大切にすることで、迷信にとらわれない答えを導き出すことができるのではないでしょうか。