君と歩んだ人生は忘れない、ペットを安らかに送るペットへの終活 ②

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君と歩んだ人生は忘れない、ペットを安らかに送るペットへの終活 ①

業者の選び方

葬儀社・霊園についてはしっかりと選びましょう。情報を集め、実際に問い合わせて、見学に行く、この流れで納得のいく業者かどうかを確かめるべきです。

情報集め

初めから1か所に決め打ちせず、ペット葬儀の経験者や口コミ、インターネットなどで複数の業者をチェックして、その中から候補を絞りましょう。

実際に問い合わせてみる

業者に電話をかけて料金やサービス内容を確認。良い業者であれば、どんな質問にも丁寧に答えてくれます。ただし、1社目で対応がよかったからと即決せず、候補の業者すべてに問い合わせして比較をしてください。良心的な業者はきちんと料金の確認をしてくれます。また、強引な勧誘もありません。「早く申し込まないと遺体が傷みますよ」、「このようなオプションもありますのでぜひ」と言った勧誘がある葬儀社は無理強いをしているので避けましょう。

見学に行く

時間の余裕があれば、施設の見学に向かいましょう。見学したいと申し出た時に渋らず、快くOKしてくれる業者は良心的な会社です。良い業者であれば見学時に施設の隅々まで案内もしてくれます。

このようなことを心がけてほしい理由としては、法の整備がまだ追いついていないことや、ペットを飼う家庭はそれなりに裕福であるため、悪質な業者が存在していることなどが挙げられます。

☆ 悪質業者 例 ☆

  • 飼い主が立ち会わない合同火葬にて遺体をきちんと火葬せず不法投棄する。
  • 移動火葬車のスタッフに「生焼けで返すぞ」と脅され追加料金をむしり取られる。

※火葬炉の基準を満たさない焼却炉を搭載した移動火葬車を使っている業者もあります。良心的な移動火葬車を利用した葬儀社もありますが、トラブルが起きる悪質業者が多く見極めづらいのが現状です。

知っておきたいアフターケア

「ペットも法要はあるの?」という声もあります。実際のところは納骨や供養が終わった後、人間と同じように冥福を祈る法要を行うことができます。
特にお骨を自宅や納骨堂においてあり、いずれは墓地埋葬を考えている場合は四十九日に納骨するのが吉と言われています。

また、アフターケアとして重要な話があり、「ペットロス」という症状があります。
ペットを失うことで、飼い主の心身に異常が起きるのです。個人差はありますが、ペットロスを起こしたときにはよく眠れない、食欲がない、涙が出る、倦怠感がある、下痢や嘔吐をする、孤独感に襲われる、責任や後悔を感じる、集中力がなくなる、何をしても楽しくない、ペットの遺品整理が出来ない、といった症状が出ることがあります。ただ、こういったことは家族として一緒に過ごしたペットだからこそ起こってしまうもの。自然な現象なのでそこはご安心ください。しかしあまりにも苦しいようであれば、家族や友人、専門家に相談することが大切です。

犬、猿、牛、豚、鶏のようなペットについて

登録していた保健所、保健センターまたは各地域センター、各市町村役所に出向いて、死亡届に必要事項を記入して鑑札及び注射済み票を添付して提出する必要があります。
これは狂犬病予防法で決まっていることであり、延長はできません。死亡届は郵送でも可能です。期限は30日以内で、この間に提出をしなければ生きていると思われ、狂犬病予防集合注射の案内や注射の督促状が出てしまいます。20万円の罰金命令が出ることもあるので、必ず提出してください。

牛・豚・鶏

これらの動物は家畜とされており、「死後の扱いにも関係する法律・家畜伝染病予防法」から、民間のペットの葬儀社や霊園では受け付けてもらえません。

猿に関しても人間に伝染する病気を持つ可能性が高いため断られるケースが高いです。

※牛、豚、鶏、猿などの動物の場合は都道府県知事の許可が下りた「死亡獣畜取扱場」に相談してください。

君と歩んだ人生は忘れない、ペットを安らかに送るペットへの終活 まとめ

ペットとの別れは必ず起こるものなのですが、どうしてもそれを実感しづらい、実感するのが辛いと感じることがあります。
また、わたしたちと違って、終活をすることがないので、ペットのいない生活を受け入れるのが難しいことも多いのです。だからこそ、わたしたちはペットの終活をするべきなのです。自分やその周囲の遺される人たちのために是非、ペットの終活をしてみてはいかがでしょうか。

ABOUTこの記事をかいた人

村山豊

年齢:57歳
結婚願望はなく独身。葬儀関係の仕事をしている。
最近流行りの終活についての情報を、ブログに載せると好評だったため、継続して記事を書くようになった。今後も自身の経験も踏まえて発信したいと思っている。